ときどきサックスの日々

サックス所持歴20年、タンスの肥やし歴17.8年のベテラン初心者

「SOS,SOS」「どうしました? 遭難ですか?」「そうなんです」

なんて馬鹿なことを言いたくなるくらいすごいことになってる。f:id:hinakazuki:20160118080229j:plain夜が明ける前。これを見てこれが東京にある公園で撮影した写真と気づく人はいないのではないか。

f:id:hinakazuki:20160118080536j:plain一応ここには足元に山道がある。雪に隠れてほとんど見えない。登ってくる途中何度も滑った。

f:id:hinakazuki:20160118081459j:plainここは少し公園らしい写真になったが靴が隠れるくらい雪が積もっていて歩きづらかった。

f:id:hinakazuki:20160118080403j:plain舗装されてはいないがこれでも一応道の上を歩いている。振り返って撮ったらこんな感じだった。

f:id:hinakazuki:20160118080654j:plainこの木々の向こうに住宅街があるのがお分かりいただけるだろうか。

f:id:hinakazuki:20160118082102j:plainもうどう見ても雪山。もし自分がこれらの写真にSOSのメッセージだけ残して行方をくらましたら警察はすぐに捜索隊を組織して出動させるでしょうね。東京の公園に。

 

忘れられた芥川賞作家 東峰夫 「オキナワの少年」

なぜこの本を読もうと思ったのかよく覚えていない。はじめて読んだのはたしかまだ十代だった頃のことだ。高校を中退してバイト生活をしていた当時、楽しみといえば町に何軒かある古本屋をまわって小説を漁るか、バッティングセンターでウサを晴らすかくらいであった。

東峰夫という作家の名は聞いたことがなかった。芥川賞作家というのも古本屋で本を手にしてはじめて知った。多分「オキナワの少年」というタイトルに惹かれたんだと思う。でなければ全く知らない作家の本など買う筈がないから。

文体は飾りげのない平易なものだったがセリフは沖縄の方言で書かれていて少し理解しづらいところもあった。しかしその方言の新鮮な感じが私を一気に作品世界に引き込み、あっという間に最後まで読ませてしまった。読後感は少し感傷的で爽やかなものであったと覚えている。

話の筋立てはタイトルどおり、12,3歳くらいの少年が主人公の物語である。具体的なストーリーは忘れたがその年頃の少年の多感な心情を綴った、他愛のないもの、と記憶していた。しかしラストシーンの甘酸っぱいつぶやきだけは月並みではあったが強く私の印象に残っていた。20数年ぶりに読み返してみようと思ったのはそのシーンをもう一度味わいたいがためでもあった。本はとうの昔に処分していて家になかったので図書館から借りた。しかし実際に読み始めてみると冒頭から読む前の期待とは違う展開であった。まばゆい太陽や、美しい海、思春期の芽生えは主題ではなく、物語はバラックを思わす混みあった街に住む少年が母親に無理やり起こされるところから始まった。   

 「あのよ、ミチコーたあひいたいつかめえたしがよ、ベッドが足らんくまっておるもん、つねよしがベッドいっとき貸らちょかんな? な? ほんの15分ぐらいやことよ」
 ええっ? と、ぼくはおどろかされたけれど、すぐに嫌な気持ちが胸に走って声をあげてしまった。
「べろやあ!」
 うちでアメリカ兵相手の飲屋をはじめたがために、ベッドを貸さなければならないこともあるとは・・・・・・思いもよらないことだったんだ。

のっけからこんな話だったかと虚をつかれる意外な展開だったがそれが作者が目の当たりにした、もしくは現に体験した、その当時の沖縄の現実だったのだろう。本書の芥川賞受賞が1971年だからおそらく60年代が舞台と思われる。もちろんアメリカ統治下の時代だ。貧しさからそういう商売をしなければならない境遇にありながら不思議と陰惨さはない。少年には現実をありのままに受け入れられる若さがあった。また主人公は家出を企てるが、そういった思春期にありがちな親の軛から逃れたいあまりの行動も理解できる。それも決してステレオタイプの、ティーン向けに書かれた子供だましの思春期の描き方ではなかった。しかし・・・。残念ながらこの年になってから読み返すと物足りなさを感じた。はっきり言えばアラが目立った。ラストシーンについてはそもそも私に勘違いがあった。これを甘酸っぱいと言ってよいのかどうか・・・。ついでながらそのシーンは続編の「島でのさようなら」の話だった。

本書が芥川賞を受賞したのは前述のとおり1971年、その翌年の72年が沖縄本土返還の年である。ちょうど世間の沖縄への関心が高かった時期なのだろう。この作品が受賞したのもそれとは無関係ではないように思う。もしかしたら、とは邪推だが下駄を履かせてもらった部分はあるのかもしれない。作者は受賞後、沖縄のことをもっと書けと度重なる催促を受けたという。しかし本人にその気はなかったようだ。むしろ反発を覚えて筆を断ってしまったという。その理由は続編の「島でのさようなら」を読めば何となく分かるような気がする。世間の関心は沖縄の不遇や苦悩にあるが作者としては沖縄の現実を本土の人に知ってもらいたいと願って筆を執ったのではないのだ。書きたかったのはもっと普遍的なこと、人は一生の間になにをなすべきなのか、とか、生きることの意味といったたぐいのことなのだ。それがただ舞台が沖縄だっただけのことだ。

その筆を折った作者がその後どんな人生を歩んだのかについては何年か前に新聞の記事になっていたのを見たことがある。筆を折ったというのもその記事で知った。建設現場で働いて生計を立てていたそうだ。受賞後、自ら文壇に背を向けた作者は建設作業員として糊口をしのぎつつ、いつか発表するつもりで小説は書き続けていたようだ。これは嬉しい話である。ぜひとも読んでみたい。沖縄のことは書かれてないかもしれないが、作者のその後の人生が垣間見れるような内容なのではないかと推測する。

いまはどこでなにをしているのだろう。もういい年のはずだ。奥書に著者の略歴がある。それによれば受賞当時、東は沖縄には居住しておらず東京の立川に住んでいたらしい。何故か住所まで書かれている。さすがに今はもうそこには住んでいないだろうが。しかしその当時はプライバシーという観念がなかったのだろうか。もう40年も前の話だ。30代で受賞した作者はいまはもう建設現場では働いていないだろう。自分のベッドをアメリカ兵相手の客商売に使われて困惑していた少年はすでに老人になっている。ではどこでなにをしているのか、ネットで調べればすぐわかるかも知れないがそんな野暮なことはしたくはない。作家と読者の関係はその作品を通じてだけで十分だと思うから。だからかつての沖縄の少年は本という形で僅かな痕跡を残し、読者の前からただ静かに去っていけばいいのだ。どこでなにをしていようが、今となっては、もはや・・・。

 

歴史好きでもまず読まない本。しかし名文

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」

タイトル通り、歴史好きでもまず読まない小説を紹介。

そもそも野呂邦暢という作家の名前を殆どの人は知らないんじゃないかとおもう。誰それ?、と思った人に説明しておくと一応芥川賞作家です。だから無名でも売れなかったわけでもないけど、作家としてこれからというときに亡くなったので今はもう世間的には殆ど忘れられているのが現状だろうとおもう。野呂は自身が自衛隊員であった若いころのことを綴った作品(「草のつるぎ」)で賞を受賞したが、私が紹介するのはその芥川賞受賞作ではなく、別の歴史小説

諫早菖蒲日記」、がそのタイトル。幕末、黒船来襲だの尊皇攘夷だのと慌ただしい時代時代のさなか、矢面に立たざるをえなかった長崎のすぐとなりの諫早が物語の舞台。f:id:hinakazuki:20150917182843j:plain

と、きけばさぞかし殺気立ったサムライ共の話だろう、と勘ぐられるかもしれないがさにあらず、主人公は諫早藩砲術指南役藤原作平太の娘、15歳になったばかりの志津。

言葉の風景画家と評された作者の美しい文体で綴られた志津の日常は一見穏やかで、静かに時が流れてゆくが、かといって世情と全く無関係ではない。難しい時代にありながら志津は15歳らしいみずみずしい感性で世の中を見つめ、向き合う。見事な情景描写で父藤原作平太の仕事ぶりや志津のほのかな慕情などの日常がさわやかに掻かれた小説です。

よく文芸評論家を名乗る人たちがおすすめの歴史小説を紹介することがあるが、この小説が選ばれることはまずない。読んでないんじゃないじゃないかと疑いたくなる。正直「樅の木は残った」とか「蝉しぐれ」とか「竜馬がゆく」はもうたくさんだ、と言いたい(司馬遼太郎は好きでほぼ全て読んでいるが)。そもそも「蝉しぐれ」を紹介するくらいなら「諫早菖蒲日記」のほうがずっと上だと断言できる。両者は雰囲気は似てなくもないが、「諫早菖蒲日記」に比べると「蝉しぐれ」は悪くはないけど平凡。「樅の木は残った」に至っては駄作だと思う。

この作家が早くなくなったのがつくづく残念でならない。もっと長生きして書き続けていれば大家となっていたろうに。すでに絶版になっていてなかなか手に入らないけれど読んで損はないはず。

 

 

ケニーGにあこがれて

サックスを吹きたいと思ったのがかれこれもう20年前。そのきっかけになったのがこのアルバム。

Breathless Breathless
Kenny G

Arist
売り上げランキング : 58617

Amazonで詳しく見る

ケニーḠ「ブレスレス」。アルバムの最初の曲の、最初の音を聞いた瞬間に自分が聴きたかったのはこういう音楽だったんだ、と感じたほどなめらかで息を飲むような美しいメロディー。さわやかなメロディーは朝聴けば一日が清々しい気持ちで過ごせそうな気持ちにさせてくれるし、夜聴けばその日の憂さや苛立ったあれこれも忘れてゆっくり眠れそうに心が落ち着く。そんな音楽それまで聞いたことがなかった。当時はジャズなんかも一丁前に聴いていたけどホントはジャズはどうもピンとこなかった。悪くはないんだけど夢中にはなれなかった。

 

スムース・ジャズというジャンルが確立したのもケニーḠがいたからこそ。聴きやすいけれど中身の薄い音楽と軽んじる向きもあった。日本のある有名なジャズ雑誌なんかは頑としてケニーḠを認めようとせず取り上げることがまったくなかった。小難しいジャズ理論にこそ価値があると思い込んでいるような連中にはケニーḠは興味の対象ではなかったのだろう。理論上、簡単なことしかやってなかったから。しかし音楽は耳で聞くもので楽譜を見て良し悪しを判断するものではない。多くの人がケニーḠを聴くようになったのは単純に聴いていていいものだと感じたからに他ならない。私も20年以上聴いているが未だに飽きることがない。

 

時代は変わった。今や頑迷なジャズ愛好家が支持する音楽は世の片隅に追いやられ、代わりにスムース・ジャズがその地位を奪った感がある。

 

わたしはそれまで楽器経験などまるでなかったのだが、ケニーGをきっかけにどうしてもあれをやりたい、と手にしたのがおんぼろのYAMAHAのYAS32というアルトサックス。ほんとはケニーGのようにソプラノを吹きたかったのだが、多少経験のある人(本人がそう言ってた)にソプラノは難しい、初心者はアルトから始めるべきと勧められて手に入れたのがYAS32。中古で10万ほどだったかな。あの当時は今より楽器の値段は総じて高かったように思うし、まあこんなものだろうとしか考えなかったが、自分が買ったYAS32ははっきりいって失敗だった。全体に薄汚れて掃除をした形跡もなく、調整もろくにされてないらしくトーンホールをきちんと塞いでいなかった。タンポが固くなっていて通常ならばオーバーホールが必要な状態だった。10万出せばもっとましなものが当時でも買えたはずだ。しかしなんの知識もない自分はそんなことには気づかず、金ピカの楽器(かなりラッカーは剥げていたが)を手にしてご満悦だった。

 

 しばらくはあれこれ楽しくいじってみたけど、まともに音が出ない楽器と、自信の音楽に対する知識経験不足もあってだんだん行き詰まってゆき、さらには健康面の問題も重なり、結局、ケニーGはおろか、簡単な曲すらもまともに吹けないまま押入れにしまわれることになってしまった。そのYAS32は今はもう売ってしまって手元にない。

 

 それでも心の何処かにあきらめきれない思いがあったらしく、7,8年前におどろくほど安いソプラノを見つけて衝動買いしてしまった。新品なのに5万円台とあのYAS32は何だったのかと言いたくなるほどの値段だった。

 

 これでようやくケニーGの真似事ができる、と喜んだものの、ソプラノだって音は馬鹿でかい。どう考えても家の中で吹けるようなシロモノではなかった。アルトのようにきちんと音が出ないという悩みこそなかったが結局ろくに練習もせずにまた押入れに。

 

去年、ふと、もう40代という年齢も考えれば今やらなければ一生ものにならないな、と思い、たまたま家のすぐ近くに貸しスタジオがあるのを発見したのを幸い(昔バイトしていたすぐ近くでこんなところにあるのに今まで気が付かなかったのか不思議)、一大決心。

 

今度こそケニーGを、20年前からずっと聴き続けているあの曲を吹くんだ!

 

・・・と意気込んだのはいいけどそれから10ヶ月、その間練習に行ったのは確か6回。ほんとに吹けるようになるのかな。